メルカリは疲れるコミュニーケーション。。。

この土日は比較的ゆっくりと過ごしていた。

やっと月末も終わって、ストレスからも解放された。とおもったらまた月曜日が来るのである。

この土日はメルカリでいらないものを一生懸命売っていた。

20点ほど出して半分は売れたのでまあまあかなともおもったのだが、とにかくすごく疲れた。

どこの誰かともわからない相手とコミュニケーションを取ることがこんなにも疲れるのかと思ってしまった。

私の物を購入してくれた方たちはすごくいい人であったが、それであっても相手のことを考えるとレスポンスは早くや、逐一状況を報告しなければ心配するだろうと考えると、一人一人にメッセージを送信することすら辛くなっててくる。

 

無事に10人分の品物を配送することができたので、あとは届くのを待つのみである。

メルカリのサービスは確かに商品も出展しやすいし、手軽に買いやすいから、出展側も売れやすいというのもあるが、その分知らない人とのコミュニケーションが増えることになる。

顔を合わせないから気軽にコミュニケーションができると思っていたが、そこに自分の物を相手に譲渡させるという責任感が加わるとそうではないらしい。以外と気を抜けない。

 

メルカリは楽しいけれども、これからは自分のペースでやっていこうと思う。

 

 

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以上。

 

 

3月のライオン後編 感想

全編に引き続き後編も公開初日に観てきました。
前半は駆け足で物語が進んでいく感じが否めなかったし、登場人物が多すぎて訳が分からなくなると言う事態が発生していました。これは原作を見ていないとわからないパターンのやつやと1人でツッコミをしていました。笑

しかし前編とは一転、ご飯は家族の話を中心に割ときれいにまとめられていました。さすが大友監督…。
キャスティングはやはり今回も言うことなし。
しかし、原作ファンからするとストーリーの深みがもっと欲しい…と思ってしまいました。
トーリーのひとつひとつに意味があり、しかしそのかれてしまうと受けてとしては物足りなさを感じてしまいました。

例えばひなちゃんがいじめにあって、それでも自分が間違っていないと自分に言い聞かせるシーン。
あれは過去のレイ君をひなちゃんが救い出すと言う割と大事な場面(だと私は思っています…)なんですが、レイ君のバックボーンが一瞬すぎる…ここは不満な点でした。

しかしながら全体的にすごく映像も綺麗で実写化としては全体的に丸だったと思います。



以上。

映画『怒り』考察⑤

沖縄編を更新していると思っていたんですが、全く更新しておらずメモ書きとして残っていたので更新します。

 

沖縄編は森山未來さん・広瀬すずさん・佐々木宝さんの演技が圧巻でした。

沖縄の雄大な風景と起こる悲惨な事件と、登場している人物たちの心情との比較、全く真逆のように感じられました。

 

今回は沖縄編の登場人物である泉と辰也について考えたいと思います。

・母親との関係

泉にとって母親は『男にだらしがない女性』として描かれている。しかし、そんな母親でも泉は放っておくことができないのである。今回の沖縄の移住も毎度のこと、泉は母のことに対してある意味諦めてしまっている部分が存在している。

それは、何度泉が注意しても母親は変わらないから。

そもそも人を変えることなど簡単にできるはずもありませんが。

しかし、そんな母親も泉にとっては一番大切な人物なのである。

 

・諦めた先に見たものとは

沖縄に移住して泉は絶望を感じる事件に遭遇する。

それが米兵のレイプ事件であった。

辰也が言う『いくら泣いたって怒ったって何にも変わらない』状況に陥ってしまう。

起こってしまったことは変わらない。だから人は後悔する。

変わるのは未来だが、それさえも泉は拒否の姿勢を見せる。なぜなら『私はそんなに強くない』から。

小説ではその後、なんとか学校に通い始めるのであるが辰也の目を通してみる泉は、もう以前の泉ではないのである。どんどん小さくなる泉。

だって人生を諦めているから。

何をしたって変わらないことに絶望しているから。

そんな思いを抱きながら物語は大詰めを迎えるのである。

 

辰也の逮捕である。

 

辰也が逮捕された後、泉は悩みながら事件の真相を北見に打ち明ける。その行動を起こした訳は、辰也が山上を殺した真相を知ったから。そして、泉のことをかばっていたからである。

レイプ事件のことを誰にも言わない。その約束を自分が逮捕されてもなお、守り続けていくれるからである。その行為に対して泉は辰也のことを信じようとして絶対に言いたくなかった自分の事件のことに関して告白したのである。

すべての事に対して諦めていた泉に勇気をくれたのは辰也の泉との約束を守り続ける姿勢だったのである。殺人を犯してもこの人を信じる事が出来る、その思いがあったからこそ泉は一歩踏み出すことができたのはないだろうか。

 

・辰也

辰也という少年は父親の沖縄の基地返還に対する熱い思いに対して諦めている人間である。泉のレイプ事件の後、自分が泉を守ることができなかったこと、そのことに対して罪の意識が強く芽生える。泉のために何かをしてやりたい、その考えが実を結ぼうとしたのが彼のマラソンという行為であった。  

少し物語は最悪な形で進んでいき、最後は殺人という事を起こしてしまった。

警察に動機聞かれても何も答えない辰也。なぜなら泉のことは誰にも話さないと約束したから、泉の事を救えなかったからこそ泉のことを守ろうとしたその信念が泉の心を動かし、彼女が一歩前に進もうとさせたのだろう。

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以上。

medi8を使ってみた

ブログ収入を本格化させたくて、今まではアフィリエイトの広告を張っていたんですが、いかんせんネットにはそんなに強くなく、どうしたら収益が上がるのか右往左往でした。

最近、クリック型の広告があることを知り、早速Googleアドセンスのサイトに飛ぶが独自ドメインがないためGoogleアドセンスを断念。
はてなブログのproにするという方法もありますが、そのまで閲覧数が伸びていない今の状況で課金をするのも少し躊躇してしまい踏み込めずにいます。

何か独自ドメインがなくても参加できるものがないかと探していたところmedi8を知りました。
私は詳しいことは分からないので、説明が詳しいブログに行ってください。笑
早速登録!

順調に進みました。

そして、いざ広告を貼るとき!
なんと、広告を貼るには審査が必要とのこと。

早速申請!







落ちました




どうやら広告の貼るサイズを間違えたそうでそれで審査を落ちたようです。

ネットに疎い私にとっては前途多難です。。

昨日、正しいサイズで申請し直したのでまたレポートします!



以上。

考えない私たち。

今の上司が40代前半で「昔は〜」と言うことを結構言う人なんです。その時は話半分で聞き流すのだが、ある日も「昔は〜」と言う話をしていた。

ちょうどAIの話が上がっている時で、上司はこう言っていた。
「昔は腹を一着買うにしても、どういうコーディネートにするかや自分で本当にこの服が似合うのかと言うのをしきりに考えていた。でも今は違うよね。インターネットが私たちの嗜好性に合わせて腹をお勧めしてくれるから意外といけるじゃん…!と言うサプライズ感はなくなったよね。」と言っていた。

私もお洋服はネットで買うことが多いので、「あなたのオススメ」と表示されインターネットは私の好きそうなお洋服を薦めてくれる。
そのお洋服はどれも私の好きそうなもので、だいたい私の持っているものは似たり寄ったりしている。

最近はリアル店舗に行くのがめんどくさくてほとんどネットでお洋服を買っている。それはわざわざ出て行くのもめんどくさいし、店員とのコミュニケーションも煩わしい。店員に聞いたところで特にプラスになる様子はあまり存在しないと最近思うようになった。

だからネットで服を買うことによって余計な情報を取得する必要はなくなったと言う点ではプラスだったと思っている。

しかし、今まで私たちがしてきた「考える」という行為は確実に減ってきたと思っている。
かつてパスカルは「人間は考える葦である」と言う言葉を残したが、今やその考える行為はロボットたちに取られつつある。
人間として面白みがある人間は考える人間か、そうでは無い人間か、どちらが求められているのか考えればわかることだと思っている。



以上。

女性の価値について

思ったことのつぶやきなので特に意味はないです。

 

年を取るたびに女性としての価値は下がっていくと一般的には考えられえていると思う。10代、20代の頃、私たちは「選ぶ」立場にいた。

 

でも、月日を経るにつれて私たちは「選ばれる立場」になってしまった。

 

だから女性たちは選ばれようと若いうちから必死になる。

 

そんなもののために自分の人生を捧げていいの?

 

私の人生は私のもの、誰に選ばれようと私は私の選択肢で選ぶもの。

 

 

でも「選ばれる」選択肢をとった私たちはまた、その行為として「選んだ」のかもしれない。

 

 

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以上。

旅行は企画である。

先週は旅行に行ったりしてなかなか自分の時間を取ることができなかったので久しぶりにゆっくり自分の時間を楽しんでいます。

 

先週、山梨県まで旅行に行ってきました。

その旅行がまあ散々でそのことについて言及したいと思います。

今回、会社の人が発起人となって企画された旅行でした。

もともとは絶叫アトラクションに乗って楽しもうという趣旨のもと7名くらいで泊まりがけの旅行に行くことになりました。

しかし、当日まで集合場所や集合時間が決まらなくてすごく心配にしていました。

 

実際に旅行が始まっても目的地に行くまでに道を何度も間違えたり、1台で足りるはずのレンタカーをなぜか2台借りていたり、1日目の夜に寝るところがなくて不安になったり・・・(※結局、なんとか見つけ出して寝る場所は確保することができました。)

 

まあイライラが止まりませんでした。笑

 

私は旅行に行くたびに思うことがあるんです。

それは

「旅行は企画だ」

ということ。

 

企画者(旅行の言い出しっぺ)は参加者がどうすれば楽しい旅行になるかかを考え、遂行しなければならない。

しかし、企画者のメリットは自分の好きなように旅行の計画を立てることができる。なぜなら、もともと参加者は自分の「ここに行きたい!」という究極のわがままに賛同してくれているから、そのわがままに付き合ってもらっている人たちを楽しませなければならない。

一方で、旅行の参加者は企画側が考えた計画に対して基本は従わなければならない。

 

また、楽しくなくなる旅行の注意点として旅行途中に計画を修正しないこと、そして参加者に意見を求めないこと。

※時と場合によります。

意見を求めてしまうと、十人十色の意見が出てくるため収拾がつかなくなります。

旅行の途中にイライラしてしまうパターンは、旅行途中に参加者の意見を尊重しすぎたあまりに本来の計画から外れてしまい、グダグダになるからイライラするのである。

 

だから、企画側はある程度の強制力を持って計画を遂行する必要がある。

 

 

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以上。