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映画『怒り』考察①

吉田修一さんの『怒り』を公開初日に観に行きました。

9月の半ばでしたかね。自分の中でも、今年1・2番を争うほどの衝撃が大きい作品でした。

一度、見ただけでは頭の中の理解が追いつかず、小説を再読、映画ももう一度観ました。

 

『怒り』の中で話題の中心になっていることは「信じる」という行為だったりすると思うですが、ではなぜタイトルが『怒り』なのか。

犯人は、何に対して「怒り」を感じていたのか、自分が考えたことを述べていけれればなと思っております。

 

◇優馬と直人の信じるという行為に関して

この二人の描写に関しては、直人側の視点は一切ありません。

この作品のポイントは容疑者の三人の視点が全くないことだと思います。

だから憶測でしか物事が語られないんです。

 

この二人の関係性に関して、疑問に思うことは

なぜ直人は自分の身の内を話さなかったのか

この一言に尽きると思っておりますが、

超短絡的な解釈ですと、直人自身は優馬に対してまだ全てを預けることが出来なかったのではと思っております。※明確な根拠など存在しませんが。

しかし、優馬と一緒のお墓に入る?くらいのくだりから明らかにお互いの信頼は築かれておりました。しかし、なんとなく母親も死んだ優馬に対して、

自分もうすぐ死ぬんだなんて言えません。直人は優馬のことを信じていたからこそ

自分の病気のことを言わないという選択肢を取ったのではと思います。

 

一方で、優馬は直人のことを完全に信じることが出来ていない自分に対して後悔の念を抱きます。

直人は自分のことを信じていたにもかかわらず、自分は直人のことを信じていなかった。しかし、死んでしまった今ではもう取り返しのないことになっています。

 

悲しみの中の人を信じることが出来なかった優馬の「怒り」が描かれている部分だと思います。

 

 

 

以上。