考えない私たち。
今の上司が40代前半で「昔は〜」と言うことを結構言う人なんです。その時は話半分で聞き流すのだが、ある日も「昔は〜」と言う話をしていた。
ちょうどAIの話が上がっている時で、上司はこう言っていた。
「昔は腹を一着買うにしても、どういうコーディネートにするかや自分で本当にこの服が似合うのかと言うのをしきりに考えていた。でも今は違うよね。インターネットが私たちの嗜好性に合わせて腹をお勧めしてくれるから意外といけるじゃん…!と言うサプライズ感はなくなったよね。」と言っていた。
私もお洋服はネットで買うことが多いので、「あなたのオススメ」と表示されインターネットは私の好きそうなお洋服を薦めてくれる。
そのお洋服はどれも私の好きそうなもので、だいたい私の持っているものは似たり寄ったりしている。
最近はリアル店舗に行くのがめんどくさくてほとんどネットでお洋服を買っている。それはわざわざ出て行くのもめんどくさいし、店員とのコミュニケーションも煩わしい。店員に聞いたところで特にプラスになる様子はあまり存在しないと最近思うようになった。
だからネットで服を買うことによって余計な情報を取得する必要はなくなったと言う点ではプラスだったと思っている。
しかし、今まで私たちがしてきた「考える」という行為は確実に減ってきたと思っている。
かつてパスカルは「人間は考える葦である」と言う言葉を残したが、今やその考える行為はロボットたちに取られつつある。
人間として面白みがある人間は考える人間か、そうでは無い人間か、どちらが求められているのか考えればわかることだと思っている。
以上。